昔からよく言われる。
「やりたい事があって羨ましい」
この言葉が自分的にはよくわからない。
やりたいことっていうのが具体的ではないからなのかもしれない。難しい
行ってみたい、観てみたい、聴いてみたい、触れてみたいなど、これとはまた少し違うような違くないような。これを全て含めた形がやりたい事になるのかならんのか、考えれば尚更わからなくなってくる。
自分としては色々考えるのも大変なので、全て含めてやりたい事にしてるいる。
「やりたい事がない人が羨ましい」
タイトルで書いたとおりだ。
本当にこれは自分の中で非常に大きな問題になってる。まあ考えても仕方がないことなのだが。
やりたいことがあるのはとても良いことだと思う。ないよりは全然良い!
だがやりたい事が多いというのは非常に厄介だ。
1つのやりたいことに向けて進む場合は、そのやりたい事に対して考え取り組むだけで良いので、パズルを探して順番に組み立ていく。パズルの向きが違ったら修正し、それでも違ったら置いて違うピースを探せばいい、そしてまたはめていく。1つの道の先に分かれ道があって、その先どっちに行ってもまた先で分かれ道を選べば良いだけだ。
もちろんやりたいことがない人は、探すか探さないかの分かれ道だからそれで完結している。
やりたい事が多いというのは、多数の種類のパズルがあるのと同じだ。
まずやりたい事のパズルを用意する。やりたいことが多ければ種類は増える。何種類かの今やりたいことから半分ずつピースを自分という土台に出す。この時点で様々なピースがあるから、探すのにも合わせるのも修正するのも非常に時間がかかる。
てなわけで道が多くて苦労する。
ピースが他の種類にハマったりきっかけになり使える時も出てくるという場合もある。
ただ考えれば考えただけ世界は広がる。
それぞれをしっかり分けて少しずつ完成させていけば良いのも分かってる。
やりたい事が多い人はなんだかんだ言っててわかってると思う。
「先がある。」「時間はまだまだある。」
この言葉を自分は信じない。
過去も未来もない。今は今なんだ。